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作成日:2023/10/10
限界は誰が創る?



短大生の頃、
「限界は自分が創ってるんだよ」
と言う同級生がいました。



その言葉が今でも強烈に印象に残っています。



私は大阪女学院短期大学に通っていました。
帰国子女が多く、見目麗しく、裕福な家庭の学生が多い短大でした。


帰国子女でもなく、垢抜けもせず、裕福でもない私は
コンプレックスの塊でした。


限界は自分で創っているという言葉をきいたとき、
ハッとさせられました。


留学したことがない
田舎モンだ
うちは裕福ではない
就職活動もうまくいかない私には限界だらけの毎日だったから。



20歳の私には受け入れがたいものでした。

結局その後私は家出をします。


何もかもが苦しかったので。
(家出からは戻ってきました。)





その後、、
社会に出て、人並みに世間に揉まれました。

逃げたい
死にたいと思うことが次々と現れました。

無価値観の洪水でした。



それでもプライドの高い私はなんとか社会に喰らいついていきました。
そうするうちに仕事のスキルを身に付けていきました。


しかしその自信を打ち砕くように苦しいことは次々と現れました。
恋愛においても苦しいことが続きました。

「限界は自分が創っている」という言葉が胸をよぎるも、
そんなんどうしようもないわーと反抗したい気持ちといつも同居していました。



ガン検査を受けたとき、患部を診た医師から
「あ〜、ストレスを受けやすい子やな〜」と言われて、その言葉がひっかかりました。

当時の私にはわからなかったけれど、その後うつになってわかりました。
私の価値観が私を苦しめていたのです。


あ〜、結局は自分なのか、とようやく
自分の価値観(こうあるべき)が自分に限界をもたらしていたんだと気づかされました。



どんくさい人生でしょう?
でも私はこの過去をよかったと思っています。
そうじゃなかったら、気付けなかった。



〇〇する人はダメだ、
△△するなんて最低、
と非難していたことがすべて自分の身に起こった。

自分の身に起こってみて、初めてそれらを体験した人の痛みを知った。
痛烈に痛かった。




美空ひばりさんの「愛燦燦」の歌詞が沁みるようになったのも30代半ばを過ぎてからです。



今も目の前に限界と思える状況が現れます。
でも今は、それを限界と捉えず、そこに至るまでの道筋を考え
それをひとつずつ行動していくことで「なんとかなる」と捉えられるようになりました。



とはいえ、やはり日々のハードワークはしんどい(ToT)/~~~
自分も周りも楽になれるよう、システムを導入したり、仕組みを変えたりしているところです。

残りの人生は自分がやりたいことをやるために
毎日瞑想と妄想を楽しんでいますwww


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