ブログ
ブログ
作成日:2023/07/14
まだあの娘のことを背負っておったのか



私が幼かった頃、母がこんな話を聴いてきたよと、話してくれました。
概要は覚えていたけれど、詳細を思い出したかったので
インターネットで検索してみたところ、とあるサイトにその話が掲載されていました。





ある老僧が二人の小僧を従えて歩いていると、行く手に大きな水たまりがあった。
そばでは若い女性が立ち往生して困っている様子だった。

そこで老僧は近寄って「私がおぶってあげよう」と言って、
彼女を背負うとジャブジャブ水たまりを渡って、無事に彼女をおろした。

再び弟子と一緒に歩きはじめてしばらく行くと、
老僧の後ろで二人の小僧が何やらモゾモゾしている。

どうしたのかと尋ねると弟子の一人が言いにくそうに言った。

「和尚さま。僧侶たるもの、女性に近づくことはもちろん、
肌にさわることなどもっての他と存じますが、
さきほどお師匠さまは、こともあろうに若い女性をおんぶされました。
私どもは、そのような邪淫はいかがなことかと案じておりますが……」


すると、老僧は呆れ顔で言った。

「なんじゃ、お前たち。まだあの娘のことを背負っておったのか。
わしはとっくにおろしたぞ」






人は固定観念に捉われるあまり、
大切なことに気付けないときがある。

まだあの娘のことを背負っておったのか」
幼かった私には、この言葉にびっくりした。

この坊さんかっこええこと言うなーと思った。


少しズレるけれども、自意識過剰なときは当たり前だけど
自分のことしか見えていない。

固定観念や執着を手放したとき、
初めて自由になれる。


物質主義の時代に生きている私たちにとって
固定観念や執着を手放すことは至難の業であるように思える。


科学こそ万能
本当に万能?
小学生の頃、寝る前に天井の木目を見つめながら
「今日学校で習った理科の内容(たしか天体のことだった)は真実だろうか?」
「実は本当はこうでした、と事実が変わったりはしないのか?」
などと頭の中でグルグル考えていた。

あるときは、母親の顔をジッと見つめて、本気で
「この人は誰だろう?」
と考えてみたこともあった。

「生」そのものに興味があった。
なんでこの世に生まれるのか。。
何しにきたのか。。

そんな折、老僧と小僧の話を聴いて、
人間て滑稽なんやなーと思った。

と同時に、私は老僧のようになれるだろうかとも思った。

 

お問合せ
シャインSRオフィス
〒559-0001
大阪市住之江区粉浜2-3-26
TEL/FAX:06-6672-9957

 

 
 




当事務所はチャットワークを
利用しています


厚生労働省のサイトです
労務管理の課題解決の参考にご覧ください